2023年12月、脱毛サロン大手の「銀座カラー」が破産申請を行いました。
負債総額は58億円、債務者は10万人を超え、多くの被害者がSNS上で声にならぬ声を上げています。
今回の調査で明らかになったのは、破産の約2週間前に「銀座カラー」の実質的創業者である塚田直樹氏が急逝していたということ。
次女である塚田眞琴氏はb-monsterの代表を務めており、インタビューで再三語られていたのが、銀座カラー創業夫妻の強烈な起業家エピソードでした。
今回、編集部では「銀座カラー」の実質的創業者、塚田直樹氏の経営者人生を登記簿謄本およびインタビュー記事から調査を行いました。そこから見えてきたのは、まさに商人的経営者のストーリーそのもの。
焼芋屋で一攫千金を得た若者はシステム会社を立ち上げ、次女の誕生をきっかけに国内最大級となる脱毛エステチェーン「銀座カラー」を展開していきます。経営者一族を育てた塚田直樹氏の人生に迫ります。
銀座カラーの謄本、公開情報から結びついた「塚田ファミリービジネス」の構造
銀座カラー破産時、「銀座カラーは塚田家のファミリービジネスである」とX上では指摘がされていました。このツイートでグループとされていたのはアリシアクリニック、じぶんクリニック、b-monsterなど。
破綻した銀座カラーの経営者である塚田啓子氏は、アリシアクリニックとじぶんクリニック経営者の塚田直樹氏の妻であり、暗闇ボクシングのb-monsterの創業者である塚田美樹・眞琴姉妹の母親であることはあまり知られてない(本部はいずれも六本木グランドタワー34階)
さて、これらへの影響はあるのかな
— 雨森頑吉 (@gankizi_amamori) December 16, 2023
こちらに関して事実関係を謄本や公開情報を元に事実関係を調べていきます。
銀座カラー周辺に「システム」「人材派遣」など複数の事業会社が存在していた。
まず銀座カラーの求人情報で出てきたのが「ファーストコンサルティング」という企業、こちらが銀座カラーに社員を派遣していたという構図のようです。
ファーストコンサルティングの公式サイトを見ると、住所が「銀座カラー」と一致していました。
さらに調べていくと、「銀座カラー」のシステム面についてはb-monster hackという会社が運用しており、この会社が銀座カラー、アリシアクリニック、b-monsterなどののシステムも作っているようです。
こちらのb-monster.hack、そしてb-monsterも六本木グランドタワー34Fの同一住所となっておりました。
さらに現在マイベストで1位となっている「じぶんクリニック」も塚田家のファミリービジネスだと判明しています。
図解でまとめると銀座カラーの周辺企業にはこのような塚田家の各事業会社が繋がっており、銀座カラーで得た収益などを関連会社に分配していたと思われます。
このように法人としては全て切り分けているので破産した際の債務がこれらの会社に求められることはく、各企業においても「銀座カラーと資本関係はない」という旨のリリースを打っています。
じぶんクリニックだけでなく、b-monster側も資本関係はないと声明を出しています。b-monsterの設立時は銀座カラーの関連会社と公表していましたが、どこかのタイミングで株式を移転させていたようです。
これらの企業群を取りまとめていたと言われるのが父親である塚田直樹氏です。ほぼメディアに顔出しされていないのですが、過去のインタビュー記事から経歴が見えてきました。
焼芋屋からエステサロンチェーンへ。知られざる銀座カラー創業秘話
銀座カラーの創業までの話が一切出てこず、古い雑誌のインタビューからようやく1つの答えを頂けました。銀座カラー立ち上げ直後の33歳の塚田直樹氏のインタビュー記事となります。まさに商人的経営者と言える内容でした。
当記事のインタビューによると下記のような経歴とのことです。
塚田直樹 島根生まれ。18歳で大阪で勤めるも長続きせず貿易業で起業。大失敗に終わり200万円の借金だけが残る。日雇い、バーテンダー、ちり紙交換、焼芋屋などで生計を立て、借金を返済。
24歳に上京し、システム会社で起業。コンピューターを増やせば増やすほど利益が膨らみ続けたという。そのときに次女が誕生。産後の妻がエステサロンに行った話をきっかけに銀座カラー(創業名はCalla銀座)を立ち上げに至る。
この銀座カラーの立ち上げのきっかけとなった次女は現在のb-monster代表、塚田眞琴さんなんですね。
当該記事では「エステ業界は詐欺まがいの広告や過大広告、不明瞭会計が多かったが銀座カラーでは行わない。またむやみに店舗を増やすことも行わない」と語られていました。
奇しくも、その数十年後、銀座カラーは急成長し、結果的に10万人以上の債権者を抱えて破綻することとなります。
破綻に至った最後のトリガーは塚田直樹氏の急逝だったか。
一部報道では、銀座カラーが破綻に至ったトリガーは実質的経営者であった塚田直樹氏の急逝だったと報じられています。
謄本を見ると12月1日に死亡となっており、銀座カラーの破綻はその2週間後、12月15日でした。
次女の誕生をきっかけにはじまった銀座カラーの歴史。そのきっかけとなった次女はb-monsterという新規事業を成功させています。
b-monsterの売上は20億円~25億円程度で推移していると見られ、立ち上げから4ヶ月で黒字化しており、営業利益は2億円程度とみられます。
塚田直樹氏の築いた経営者の遺伝子は、遺された家族にもしっかりと刻み込まれているようです。
銀座カラーの債権者対応は真摯に対応頂き、塚田ファミリーの再建を期待します。